− “大田区萩中の”しぶや進学塾(渋谷進学塾) −

BIG DIPPER ・・・和訳

LESSON 17
 The Birth of Peter Rabbit

LESSON 17 part 1

 ヘレン・ビアトリクス・ポターは、終りの2つの名前で彼女は良く知られているが、
1866年にロンドンで生まれた。  
彼女はロンドンの栄えた地域のケンジントンで、上流の家庭の家族の中で育った。  
彼女の両親は二人とも遺産を相続していて、家はビクトリア王朝時代のロンドンの裕福な
人々により所有される典型的なもので、いくつかの階にたくさんの部屋があり、
召使いがその家族と家の世話をした。
  当時の常識として、彼女はナニー(ベビーシッター、兼、家庭教師)により育てられ、
彼女の両親とはあまり会わなかった。
 どの学校にも入学しなかったが、ビアトリクスは家で教育された。
彼女の両親は二人とも絵を描くことを楽しみ、彼らは家に来てビアトリクスが彼女自身の
絵の技術をどのように発育すべきかを教えるための女の家庭教師を雇った。
ビアトリクスは彼女の弟と一緒に毎日3階の学習室で数時間を費やした。
当時、彼女のような女の子が手紙(文字)の書き方や絵の描き方を習うことは大切なことだった。
彼女は幼少のときからそのようにし、残りの人生でも(生涯においても)そうすることを楽しんだ。
彼女はまた動物を好み、いろいろなペットを飼った。
それは、うさぎや、はつかねずみ、トカゲや蛇でさえでもあった。
LESSON 17 part 2

   ビアトリクスの一人の女家庭教師であるアニ・カータ・ムーアは彼女より 
たった数年 年上であり 彼女らはすぐに親友になった。
 結婚した後、アニはビアトリクスに家庭教師をすることを止めたが、彼女らは親密な
友情関係を続けた。 
1893年のスコットランドでの休暇のときに、ビアトリクスはアニの一番上の息子の
ノウエルが病気であることを聞いた。 
彼をはげますために、彼女は彼に手紙を書くことを決めた。 
「私の親愛なるノウエル」と彼女は書いた。
「私はあなたに何を書くべきか知らない。
それなので、私はあなたに 名前が フロスピ、モプシ、コットンテイルとピータという
4匹の小さなうさぎの物語をあなたに伝えます。」 
彼女は彼女自身が絵を描き、そして彼女が送ったものは すぐにもっとたくさん欲しいという
返事がくるほど、アニの子供たちにとって とても大きな反響があった。
ビアトリクスは彼らのために書きそして描き続け、そしてついに 彼らの熱意の結果として、
彼女は彼女の物語の中から本を作ることを決めた。
  1901年に白と黒のイラストがついていている小さな物語の本が用意された。 
たった250部のコピーがあったが、彼女はそれらの大部分を贈り物としてあげた。
それから、だれかが彼女に出版社を紹介した。
1902年にその絵に色が付け加えられ、8,000部の新しいコピーが用意された。 
それらは出版が完了する前にすでに売り切れた。 
さらに20,000部のコピーがすぐに続いて用意された。


LESSON 17 part 3