− “大田区萩中の”しぶや進学塾 −
PROGRESS IN ENGLISH 21 ・・・和訳
BOOK_2・・・MARTIN LUTHER KING(p.66)

   「マーティン・ルーサー・キング」

  ジローはマーティン・ルーサー・キングについての本を読みました。  ここに彼が書いた報告書があります。

  「私には夢がある。」

  この有名な言葉を言った男は新教徒の牧師でした。  彼の名前はマーティン・ルーサー・キングでした。  彼はリンカーンメモリアルのエイブラハム・リンカーンの 大きな像の足の部分にある台上で話していた

  その年は1963年でした。  その年はリンカーンが奴隷を解放してから100年後でしたが、 奴隷の孫たちは、まだ本当に自由ではなかった。   南部の州はブラック・アメリカ人にとって良い場所ではなかった。   彼らは白人が所有している全ての権利を所有しているわけではなかった。   黒人の子供たちと白人の子供たちは異なる学校に通っていました。   バスには前側に白人のための座席があり、後ろ側に黒人のための座席があった。

  マーティン・ルーサー・キングはこれを変えたかったが、暴力を使うことを望まなかった。   もちろんキリスト教の牧師として彼はイエス・キリストの生き方と言葉を知っていました。   また彼はマハトマ・ガンディーの生き方と言葉も知っていました。   これら両者の偉人によれば、愛は憎しみよりも力強いのだそうです。   キングはこれらの人と彼らの信念を尊重していました。   彼は説得力のある演説家になり、勇敢な指導者になった。   彼は不公平な法律に対して多くの平和的な抗議運動を先導した。

     1955年の12月のある日、黒人女性のローザ・パークスがアラバマ州 モンゴメリのバスに乗りました。   彼女は長い仕事の一日が終わり大変疲れていました。   バスの後ろ側の席に空席はありませんでしたので、彼女は前側の席に座りました。   バスは止まりましたが、ローザ・パークスは席から移動しませんでした。   警官が来て、彼女を逮捕し、拘置所に連行していきました。

  モンゴメリーの黒人の指導者たちは、このことについて話すためにマーティン・ルーサー・キング の家に集まりました。   「黒人はバスに乗らないことにしよう」と彼らは決めました。   黒人の人々は、1年間仕事に歩いていきました。   バス会社はたくさんのお金を失いました。   世界中の多くの人たちがこの静かな抗議に気づいた。

  「私には夢がある。」とキング牧師は言い、「いつか、アラバマ州の 小さい黒人の男の子たちと女の子たちとが小さい白人の男の子たちと女の 子たちと、姉妹や兄弟のように手をつなぎ一緒に歩くことができるようになることを。 私には夢がある。」と言いました。

  マーティン・ルーサー・キングはアフリカ系アメリカ人の権利のために 働き続けました。   彼は1964年にノーベル平和賞を受けました。   何年か後、ある男が彼を撃って殺しました。   マーティン・ルーサー・キングは死にましたが、彼の夢は生きつづけています。